◇三国志について語る 【10】 荊州 華南に位置し、当時の中心地。揚州においては呉などが中心地だろう。 荊州は呉の地から蜀を望もうとすれば必ず通り、華北から呉やその周辺を平ら げようとすればこれまた確保するに越したことはない土地だと思われる。 三国時代に入る前から言えば、いわゆる韓の地ですよね。三国時代においては 劉表という人物が荊州牧(確か。)として赴任して天下を窺う機会も多々持ち合 わせていたようです。がしかし、その才能が当の彼にはなかったのか、最後は魏 や呉に分割されて終わっている。 ちなみに後世の元の時代になると、華北を元、華南を南宋というふうに分断さ れるがその国境にあったのは荊州の襄陽という土地です。平地の続く陸上戦では 圧倒的強さを誇った元の騎馬隊だがさすがに江南への侵攻は容易ではなかった。 日本(当時)への侵攻も騎馬隊を進めるわけにはいきませんから当然船で行くわ けですが、こうなると本当の力はなかなか発揮できない。それでも世に言う集団 戦法で当時の日本を苦しめたわけですね。 結局のところ荊州城の陥落を機に南宋は降伏・滅亡への歯車を加速させること になったというわけです。それくらいの軍事・経済的要衝であったとも言える。 最終更新:2006/2/21